超えられない餃子 【伊豆長岡 香蘭(閉店)】

超えられない味

“超えられない味”は誰にだってある。

  • オカンの煮物
  • 行きつけの店の突き出し
  • 有名店のスペシャリテ
  • 師匠の味

などなど。

料理の世界にいればいるほど、”料理って奥深いなぁ”と気づく。同じレシピを同じ様に作ったって、人によって味が全然変わるのだから。もはや神秘である。

料理は、盛り付けや色使い・器・雰囲気・接客によっても味は確実に変わると思う。もちろん、一緒に食べる人によっても。

様々な要因で「味」は確立されていくのですが、特に”小さい頃から食べていた”という記憶に訴えかける”味”の印象は強烈で、「オカンの味」などがこれにあたるでしょう。

どんなに美味しいカレーを食べても、どんなに有名店のカレーを食べても、どうしても実家で食べるカレーには敵わない・・的なアレです。

記憶

僕には、どうしても超えられない「餃子」がある。

小さい頃から、ずっと通った伊豆長岡のラーメン屋の餃子で、おじさんとおばさんが2人で切り盛りする「香蘭」という小さな中華屋のそれ。

もうお店を畳んでしまったのですが、どうしても今だに思い出してしまう味。

伊豆長岡のソウルフードと言っても過言ではなく、東京で一人暮らしをしているときは香蘭の味を思い出して帰省したくなったりしたものです。姉も同じ事をよく言っていて、伊豆に帰るたびに香蘭の餃子を食べに行っていました。

僕らにとっては、どんな高級なお店で食べる餃子よりも、あのテーブル3つしかない香蘭の餃子が一番だった。

暗雲

いつからか、料理を担当するおじさんの体調が悪くなって、「鍋が振れないから・・」と炒飯が品切れになった。臨時休業が多くなり、1週間で営業している日の方が少なくなった。そして1ヶ月のほとんどがお休みになった。

数ヶ月そんな状態が続いたが、ある日突然お店の電気が灯っているとの噂が。急いでお店へ行くと、ひときわ痩せたおじさんが外でタバコを吹かしながら「おう!いらっしゃい!」と変わらぬ笑顔で。

「おじさん、大丈夫すか?めっちゃ痩せちゃったじゃないですか」と言うと「ちょっとねぇ」とタバコの煙の中で笑いながら遠くを見ていた。おばさんから、突然体調が悪化して大きな手術をしたのだと後に聞いた。

それでも、その日食べた餃子の味は何一つ変わりがなく、いつもの”香蘭の餃子”だった。

そして、僕が食べた香蘭の餃子はその日が最後になった。

思い出は思い出に

営業したのはホント少しだけの間で、香蘭の店の光は再び灯る事なくそのまま閉店した。おじさんが亡くなったという話を聞いたのは、それからしばらくしてからだった。

どこかで”また復活するだろう”と思っていた僕は、訃報を聞いた瞬間言葉が出なかった。おじさんの病気は、僕が思っていたよりも深刻だったのだ。

「もうお店自体は長くないかもな」という気持ちと、「でもまた営業するだろう」という気持ち、両方あったのは事実。

でも、おじさんとおばさんならまた営業するよな・・と思っていただけにショックは大きかった。そして、2人仲良く「いらっしゃい」という笑顔を見れないと思うと泣いた。

  • 「お酒のアテが少ないから・・」と焼豚の切れ端を刻んで出してくれた事
  • 閉店時間を過ぎているのに、「こっそりね」と店の電気を暗くしながら味噌おにぎりを結んでくれたおばさん
  • 「ちょっと付き合うか」とビールを開けておじさんと一緒に飲んだ夜
  • 「お兄ちゃん炒飯だったよな」と、痛いはずの腕で鍋を振ってくれたおじさん

いつだって掴めそうなくらい2人との思い出は近くにあり、そしてそれは、完全なる”思い出”となってしまった。

記憶に残る

多分、この先も餃子を食べる時はおじさんの顔を思い出すし、香蘭の近くを通るときはおばさんの笑顔を思い出すだろう。

プロの料理人として10年を超えた僕。「記憶に残る味」を提供できているのかは分からない。ただ、いつまでも追求しなければならない事で、そして”記憶に残る”のは単純に「味」だけではない。

思い出や場所、様々な部分で記憶に残してもらわなければ。

まだまだ、おじさん・おばさん、2人の背中には到底追いつけないけど、2人から教わった大切な「記憶に残る味」を忘れずに生きていこうと思った令和最初の夏。

夏は少しセンチな気持ちにさせますね。

天国でも、美味しい餃子を焼いててね。いつか食べに行きますね。