棄てたらゴミ、使えば食材。和食の大切なココロ

プロに向いていないやつ

先日、いつものようにTwitterのタイムラインを見ていたらグサッと刺さるツイートが。

以下、えとみほさんのnoteより抜粋

才能とはつまり一般的なプロであれば見逃さない「違和感」に気づけるかどうか。たとえば、わかりやすい例でいうと、歌手や音楽家は伴奏が外れていることにすぐ気づく。ライターや作家であれば、段落のおかしな区切りや文末の重複にすぐに気づく。

このような間違いに気づいた時にプロはどう感じるのかというと「気持ちが悪い」のだ。ところが、プロになって何年経ってもこの「気持ち悪さ」を感じられない人がいる。

これが「才能がない」ということなのではないかと思う。

とあり、ひどく共感した。

僕も料理の世界に入ってすでに9年。バイト時代から合わせれば18年。はたから見れば立派な「プロ」だ。はたから見なくても(立派かどうかは別として)プロだ。

そして度々この「違和感」を感じるときはある。

  • 盛り付けの色が足りない、余白が足りない
  • 味付けの違和感
  • 器の向き、チョイス、季節感のなさ
  • 冷蔵庫内の乱雑さ、道具の扱い

などなど、挙げたらキリがない。今までは「こだわり」だと思っていたが、この文章を読んで「才能」なのだと納得した。

本文中にもあるが「石の上にも三年というのは”頑張れば必ず到達できる地点”ではなく”才能の有無をはっきり認識できる期間”なのではないか」とある。つまり3年経ってもこの「違和感」に気づけないようなら他の道に進んだ方が良いという事だ。僕もそう思う。本当に気づけない人は気づけないから。

しかしながら、大体の場合は気づけるようになる。ちゃんとプロになっていく。大体の場合は。

一番大事な「違和感」

そして僕が一番気持ちの悪い「違和感」は、「食材を無駄にする」である。

コレをするヤツは、とっとと包丁を置いて田舎に帰った方が良い。本当にそう思う。

なんでもかんでもすぐに「棄てる」という決定を下す奴はこの世界に向いていない。ハッキリ言えば「腐った」ではなく「腐らせた」のだから。

3年も料理をやっていれば、この食材がどの程度で腐敗していくかという事がある程度分かってくる。(というか3年もやって分からないようなら、それはそれで包丁を置いて田舎に帰った方が良い)

そして腐りそうならいくらでも手立てはある。

  • 冷凍する
  • 火入れをする
  • 賄いで食べる
  • 昆布締めや酢締めにする
  • 他の料理に転換させる

などなど。

たまに「カレーを腐らせてしまった」という謎の日本語を聞くが、カレーが腐る理由が僕には理解できない。残ったのなら冷凍すれば良いし、冷凍しないのなら火にかければ腐らない。だからどうやっても腐らない。本当にいくらでも方法はある。

それをやらないで(無視して)モノを腐らせる人間が作る料理なんて僕は食べたくない。どんなに美味しくても。腐ったココロの人間が作る料理は食べたくない。

美味しい料理を作れることは大切なスキルだが、食材を大切にするココロはそんなスキルよりももっと大切。食材・生産者・漁師・農家・仲卸などなど全ての人をリスペクトしていれば、腐らせるなんてそんな無礼なことは出来ない。何より、そんな事をしていて「気持ち悪い」と感じられない心がどうかしている。

味付けなど美味しい料理を作ることはさほど難しくないが、モノを腐らせてしまう「腐ったココロ」を変える方がよっぽど難しい。

ということで

これから「もったいないレシピ」もブログで紹介していこうかと。

大根の皮で作る漬物とか、出がらしの昆布で作る有馬煮など、普段は棄ててしまいがちな食材を使った一品を紹介していきます。というか、そういうツイートをTwitterで呟くとかなり反応があるのでブログで詳しく書いた方が良い気がして。

次回以降のブログは主婦必見です!

という「僕のブログ見ろよ」というブログでした。見ろよ。