ミシュランガイドとは
「ミシュラン」と聞いて、何を想像するだろうか?
「タイヤの会社」
と想像する方が、果たして何人いるのだろうか。
世界最高峰のフォーミュラーカー・スポーツ「F1」に、タイヤを供給するタイヤの世界的な会社でありながら、「ミシュラン=タイヤ」とならないのは何故なんだろう。
「ミシュランガイド」
もはや、その名前を知らない人はいないほど有名な”食のガイドブック”だ。「ミシュラン」と聞くと、「タイヤ」よりも「ミシュランガイド」を思い浮かべる人の方が多いのではないだろうか。
世界のあらゆる地域の飲食店を、一つ星~三つ星で評価しているガイドブックであり、多くの飲食店の憧れの場所。最新刊の「ミシュランガイド東京2020」では、星付きの店が226軒となり、東京が世界一の星付き店の数となった。
- 「すきやばし次郎 本店が三つ星の掲載店から外れた」
- 「フランスの”ポール・ボキューズ”が三つ星全て失った」
- 「ロンドンの寿司屋#The Araki”が星を失った」
などなど、ニュースサイトなどで話題が尽きないのがミシュランガイドの特徴でもある。
昔は、星を失っただけで自殺をするシェフがいたり、ミシュランからの三ツ星の打診を断ったお店が有名になったりと、良い意味でも悪い意味でも料理の世界に風を吹かせてくれる。
最近では「グランメゾン東京」という、ミシュランの星を目指すシェフ・木村拓哉が主演のドラマが放送され、更に話題に拍車がかかった気がする。
かく言う私も、ドラマの影響を受けまくった料理人の一人。多くの料理人が影響されたドラマだろう。今までは「ミシュランなんて・・」と思っていた料理人が星を目指し始めたりと。
個人的には、本気で技術の向上を目指したり、本気でミシュランの星を狙いに行く事は凄く良い事だと思う。
ただし、目指すのであれば、やはり「正しい努力」をする必要があるし、今までのやり方を変えていかなければいけない。
さて、その上で今一度考えてみよう。
「自分の料理で誰を豊かにするのか?」
次項を読み進めようとしているあなたに最初に伝えておくが、僕はミシュランの星を取ったことはもちろん無いし、星付き掲載店で働いた事すら無い。
つまり、これからツラツラと書いている文章は、そんな料理人の端くれが書いた文章。つまり駄文です。くれぐれもお忘れなきよう。離脱するなら今です。
ミシュランを獲る難しさ
板前を始めた当初、品川の和食屋に勤めた僕。
当時の親方は、和食の世界では名の知れた方で、東京都の優秀な技能者に与えられる「東京マイスター(江戸の名工)」を都知事から表彰されている凄い人だった。ちなみに、ソムリエの田崎真也も同時期に受賞している格式高い賞が「東京マイスター」。
親方は、プロに教える日本料理の講師を何度も依頼されたり、本や雑誌に掲載されたり、またコンクールにもバンバン出品しているほどバイタリティがあった。
「弘法筆を選ばず」という言葉があるが、ペティナイフで鯛を卸し始めた時は、「この人が弘法か・・・」と思ったものである。
また、”生き字引”みたいな人で、一つ質問すると永遠と答えが出てきたのが印象的だった。食事の時にちょっとでも質問しようものなら、休憩時間が終わってしまうという事例が頻発し、先輩からよく怒られたものだ。
僕も、5歳年上の兄弟子も「辞めたい時もあるけど、親方の知識と実力がスゲーから辞められない」と酒を飲みながら語っていた。それほど求心力のある人だったし、技術と知識で人が付いてくる謂わば”カリスマ”であった。
そんな親方が、ある会社から引き抜かれた。もう60歳を超えたタイミングで、である。
引き抜いたお店は
「銀座でミシュランの星を獲る」
というビジョン掲げ、その目的の為、親方に白羽の矢が立った。
- 銀座の一等地
- 食材原価60%以上で赤字覚悟
- サービスマンも一流を用意
- 店内も新品
- 料理人は”江戸の名工”
「1~2年ってとこかな」と、兄弟子と星を取れる時期を賭けていた。
あれから7年。
そのお店に星は一つも付いていないし、ビブグルマンにも載っていない。そして、既に親方もそのお店にはいない。
銀座の一等地で、一流の料理人と一流のサービスマンを用意し、原価率無視で赤字覚悟の仕入れをしてもミシュランの星は獲れなかった。
親方の腕が悪かったのか?
もしかしたらそうだったのかもしれないが、僕は今まであれほどまでにクリエイティブな料理を作り、技術・知識まで備えている職人に会ったことは無い。ただの一度も無い。
東京には星の数ほど飲食店はある。
技術やアイデアだけではなく、様々な要素が絡まないといけないのかと。ミシュランの星を獲るとは、つまりそういう事なのだ。
親方も、そのお店も、努力の方向は間違っていなかっただろう。星を獲るまでは原価を無視し、良い料理を最高の形で提供していた。ただ、正しい努力をしても獲れないものは獲れない。
僕の中で「ミシュラン」と聞くと、この記憶がブワッと蘇る。
料理で誰を”豊か”にするのか
ミシュランとは、お笑いで言うと「M-1」みたいなものかな、なんて思っています。獲ったら一気にスターダムに登れる感じだとか、お客さんが急に押し寄せる感じだとか。
ミシュランの為に新たに店を開くのなら別だが、今やっているお店で「ミシュランを獲ろう」と思うのなら、確実に色々なものを捨てていかなければいけない。
美味しい食材は、絶対的に値段が高い。
良いものを作るには、良い食材が欠かせない。必然と原価率は上がっていく。そして売値は当然上がる。
今まで3000円で満足出来たお店が「10,000円のコースから」になったら、いつも来てくれていたお客様の足は遠のくだろう。当然だ。
- 地元のお客さんより、県外からのお客さんが増えるだろう
- サービスのスキルを上げないといけないだろう
- 料理のクオリティを上げないといけないだろう
- 新しい料理をプレゼンテーションしないといけないだろう
- その上で働き方も考えなければいけないだろう
- 食材の仕入れ先を新しくしないといけないだろう
ミシュランは良い事だけど、自分が料理で豊かにしたい相手は一体誰なんだろう?
- 地元の人なのか
- 顔が見えるお客様なのか
- 県外の人なのか
- 海外の人なのか
- セレブなのか
- 子供連れなのか
そこをしっかりと考えて、ミシュランを目指すのか・目指さないのか考えたら良い。
「今までのお客様の足が遠のいても良いのか」
「馴染みの仕入れ先との付き合いは辞めるのか」
色々な考え方はあるだろうが、
- 「ミシュランの星を取る」のも
- 「お客様からの一番星になる」のも
どちらも等しく素敵な事だ。どちらが優っているとかではなく、幸せにしたい対象が違うだけ。
その上で目指すならば”正しい努力”を
ミシュランを目指したければ目指す方が良い。けど、その為に間違った努力をしてはいけない。ベクトルが「ミシュランを取る」なら、
- 地元のお客様は捨てなければいけないという覚悟を。
- 自分達の「強み」を見つけ、それをとことん磨かなければいけないという信念を。
- 時代に無い新しいものを生み出し、人を笑顔にさせなければいけないという努力を。
あなたにはあるだろうか?
唐揚げとポテトフライを出していて、ミシュランなんか取れる訳が無い。
今までと同じ事をして、ミシュランが星をくれる訳が無い。
そして、正しい努力をしたからと言って星が獲れるとは限らない。
一流の職人が、一流の食材を使って、原価無視で銀座の店を開いて獲れなかったのだ。
確かに「グランメゾン東京」を見て凄い刺激を受けたが、食で豊かにする相手を間違えてはいけない、と僕は思う。
くれぐれも忘れて欲しくないのだが、僕はミシュランの星を獲った事は無いし、ミシュランの星付きの店で働いた事すらない。偉そうに講釈をたれているが、ただの料理人の端くれが書いた駄文をこしらえてしまって絶賛反省中でございます。
そんな料理人の端くれの僕は、
- お客様と
- 従業員と
- 関わってくれる業者さんと
- 地元の人と
- 家族
を料理を通して豊かにしたい。その為に料理を作る。
では、あなたは誰のために料理を作る?